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金沢教室代表の私が家庭教師の仕事を始めたきっかけ

家庭教師のアズ金沢教室で代表を務めている谷口徳晃です。日頃、様々なご家庭に赴いて学習相談をしてきました。そして、今までに数多くのご家庭とお会いして、家庭教師のお世話をさせていただいてきた中で、時折、「谷口さんはどちらの出身?」、「どんな経緯で石川県金沢市に来て家庭教師の仕事を始めたの?」、と聞かれることがあります。そこでここでは、私の自己紹介も兼ねて今の家庭教師の仕事を始めたきっかけについてお話させていただきたいと思います。

私の生い立ちと学生時代

私の生まれはヤマハやカワイなどの楽器やうなぎパイで有名な静岡県浜松市です。今現在住んでいる石川県金沢市とは真反対にある太平洋側で冬場でも雪は殆ど降ることがない温暖で毎日のように晴れている地域です。そのせいか、こちら石川県内で育った方からは「石川弁の使い方が少し違う」とか「開放的でのほほんとしている」と言われることもあります。環境が人を育てると言いますから、そのせいかもしれませんね。

こちら石川県金沢市に住んでから13年が経ち、今思えば当初は妻も私に気を使ってかあまり石川弁を使っていませんでした。しかし、小学六年生の女の子と小学三年生の男の子は金沢育ちのネイティブなので、子育てをしながら子供と話していく中で子供の成長と共に使えるようになってきました。子供のお陰で、今では自然と耳に入ってくる石川弁にもしっかりと慣れ、浜松に帰省した時にも思わず金沢弁が出てしまうことがあります。余談ですが子供たちはと言うと、地元の金沢弁に妻の出身である能登弁、それに私の出身である浜松市の遠州弁とが時折混ざり合いながらも、絶妙に使い分けて話せるトライリンガルへと育ってくれました。(笑)

学生時代は音楽好きの父親の影響もあって、私自身も音楽が好きで洋楽のロックからクラシックまで幅広く聞いてきました。そこから、音響関係に興味を強く抱き、高校の文理選択では迷うことなく理系を、その後は工学部の電子科へと進学しました。しかし、徐々に専門科目の実習が多くなり、理論値と実験値の違いに苦しみました。まだまだ知識も少ない学生ですから自分の思い描いていたような研究には程遠く、その前の前の基礎研究を朝から夜の日付が変わる前後まで研究室にこもって打ち込む日々を過ごしました。こうした中で、入学当初はぶれることなくメーカーに入って開発に携わるエンジニアになることを目指していた思いが揺れていきました。

そして、学生時代に小中高生を対象に家庭教師や塾で教えた時の生徒の成績が伸びて志望校に合格した時のやりがいや喜びを味わいたいと思い、同じ研究室の友人がメーカーへの就職や大学院に進学していく中で自分だけは地元の大手進学塾で働くことにしました。

就職~進学塾専任教師時代~

トップ校を目指す生徒が非常に多くて実績も高く、自前で模試やテキストも作成していました。また、講習期間も含めると年間でかなりの校舎間を行き来する中で多くの様々な生徒と接することが出来、これらの経験がその後の私の人生にとっても非常に大きな財産となりました。この経験を活かして、現在も学習相談での答案用紙の書き込み内容からそのお子さんの問題点や考え方を見つけて対策をご提案したり、石川県公立入試問題や統一テストの問題分析には自信を持って行い、お子さんや家庭教師の先生方と情報を共有しています。

進学塾での仕事は生徒たちの成長する姿を間近で見ることが出来、目の前の生徒たちの悩みを聞いたり励ましてしていくことは、同時に自分自身も「もっと生徒たちのために頑張ろう!!」とやる気を鼓舞してもらっていました。この仕事にとてもやりがいを感じて大好きでしたし、忙しいながらもとても充実した毎日を過ごしていました。しかし、年月が経って経験を積んでいくにつれ、クラス分けを3段階にしているとは言え、団体授業の限界を感じつつありました。そんなある時、会場責任者の上司から「塾として実績を上げるために下位層の子にかける労力があるのなら、それをトップ校に行けるかどうか瀬戸際の子にもっとかけるように」と言われたことがありました。確かに民間企業なので、少しでも実績を上げていくためには理解することも出来ます。甘いと思われるかもしれませんが、どうも自分の中にはもやもやとした気持ちが湧き上がり、このまま今の仕事を続けていくべきかどうか大いに迷いました。

転換期~新潟代表との出会い~

そんな頃、ある縁を通じて新潟代表と知り合うことが出来ました。しかし、当初は家庭教師の運営と言っても、自分の学生時代に家庭教師をした時の印象から、運営会社からは基本的には家庭教師に丸投げで指導内容については適切なアドバイスがもらえるとは思っていませんでした。周りにもひたすら問題演習を増やして解説している同級生が多かったので、正直あまりいい印象を持っていませんでした。

しかし、実際に新潟代表の渡辺さんにお会いしてみると、そんな今までの印象が全て吹き飛びました。家庭教師の運営では一対一でお子さん一人一人の個性や状況に合わせてオーダーメイドでとことん教えられること、教科書を使った本質を突き詰めて理解させることを主体とした指導と家庭教師の指導日以外の自学の定着に徹底的にこだわった方針をお聞きし、深い感銘を受けたことを今でも鮮明に記憶しています。当時、塾講師としての限界を感じていた自分にとって、「自分が本当にしたかった指導はこれだ!」、と胸が熱くなりました。

その後、このまま心の中に迷いを持ったまま教壇に立って指導をしていくことは目の前の生徒たちやその親御さんにも失礼だし、自分の本心に背を向けて続けていくのは違うと思い、塾の専任教師を辞める決意をしました。

家庭教師アズ金沢教室での仕事

こうして私は家庭教師の運営の仕事に携わることとなりました。当初は塾とは違うことも多く、塾では全て学年とテストの成績だけでクラス分けや授業の内容を行っていたので、戸惑うことも多かったです。例えば、生徒さん一人一人の成績はもちろん、性格や考え方も考慮しながら、どんな家庭教師なら相性が合うのか、と考えて担当教師の人選を行ったり、短・中・長期的な視点でどんな優先順位で指導を進めていくのかをとことんこだわって考えぬき、その上で打ち合わせ研修をし、毎月状況を確認して更に見直ししていくこと。

とても手間のかかることですが、この仕事の中で一番やりがいのある所でもあります。数多くある学習手段の中から家庭教師のアズを選んでいただいたのですから、出会ったお子さんや親御さんには喜んでいただけるように、この思いを担当教師と共有し、全力でお子さんの状況を好転させていくために取り組んでいきます。

金沢教室では一回一回の指導の中で「どんな足跡を残せたのか?」生徒さんだけでなく、担当の家庭教師にとっても将来、指導してきたことを振り返った時に、胸を張って「こんな足跡を残せた」、と言えるように毎回の指導に全力で向き合っていくように伝えています。

今では当たり前のように行っていることですが、これが家庭教師のアズ金沢教室の取り組みです。勉強や進路の悩みはもちろん、やる気の引き出し方や友人関係の悩みなど何でも相談してほしいと思います。金沢教室代表の私谷口が必ずお伺いし、ご相談に対応させていただきます。これからも一人でも多くの小中高生の悩みや要望に応えていける力となり、一期一会ご家庭に喜んでいただけるように誠意をもって向き合っていきたいと思います。

お子様の勉強や進路に関するご不安やご心配などありましたら、お気軽に家庭教室アズ金沢教室0120-66-2020代表の谷口まで相談してほしいと思います。